「これで全部だな、相棒」

俺の言葉に相棒はこくりと頷き、スケッチブックの文字に丸をつけた。
スケッチブックには絵の具の細かい種類が書かれている。
その殆どは青色だ。
相棒は夜中など暇な時にだけキャンバスに向かう。
そしてその絵は大抵青空の絵だ。
つまり相棒は、明日飛ぶ空を夢見て絵を描き、退屈な時間を潰している。
そんなことをしているくらいなら、素直に起こしにくればいいものを。

「しかしなんだってそんな灰色やら真っ赤な絵の具やらを買いに来たんだ?」

サイファーが描くのは空ばかりで、基本的に青や白などしか持っていないらしい。
夕焼けに使うオレンジは所持しているようだが、今日買ったのは夕焼けなんてもんじゃない真っ赤な絵の具。
陰影に使う灰色はともかく、赤い絵の具は不自然じゃないだろうか。

『完成したら教えてやるよ』

スケッチブックの端にそう書いてサイファーは笑った。
どことなく挑発的な笑みだ。
完成する前に絶対に何に使うか当ててやろう、と俺は心の中で決意した。
その時だった。

「……?」

ふとサイファーが首を傾げた。
そして、ぱっと空を見上げる。
つられて俺も空を見上げると、灰色の雲がどんよりと広がっていた。
そして俺の額に大粒の滴が降ってくる。
――最悪だ。俺は舌打ちした。
天気のことは失念していて、傘は持っていなかった。
が、幸い今日の相棒の服にはフードがついている。
髪がぐしゃぐしゃになるから嫌だ、と抵抗するサイファーに、俺は無理矢理フードを被せた。
少なくとも、これで我らがエースが風邪でぶっ倒れる確率は下がっただろう。
以前ひどい風邪で倒れられてからは、サイファーの体調にみんな神経質になってるからな。

「走るぞ、サイファー」

絵の具の入った袋を腕にかけ、もう片方の手で相棒の腕を引っ張る。
ふと、雨が止んだ気がした。

「サイファー?」

そんなすぐに雨が止むなんて有り得ない。
視線を移すと、サイファーが腕を伸ばして俺の頭の上でスケッチブックを傘代わりにしていた。

「馬鹿、濡れるぞ。
それ、絵も描いてるんだろ?」

サイファーのスケッチブックは文字だけでなく、いくつか絵も描いてある。
俺はサイファーの絵が好きだし、濡れるのは惜しいと思う。
だからいいと言ってもサイファーは頑なにスケッチブックで雨を防いでいる。
俺は仕方なくスケッチブックを受け取り、サイファーの腕を再び引っ張った。



青と灰と赤



「災難だったな、相棒」

俺は隣で息を切らしている相棒をちらりと見て言った。
なんとか小さな店の屋根の下に潜り込んだが、それでもお互い随分濡れている。
「本日定休日」の紙が貼られたシャッターに寄りかかりながら、俺は溜め息を吐いた。
相棒のフードはびしょ濡れで、手触りのよかったファーもべったりとフードにくっ付いている。
俺はといえばスケッチブックで雨を防ぎきれるわけがなく、頭は比較的ましだが肩がぐっしょりと濡れていた。
絵の具を入れた袋はビニールだったため、中の絵の具は無事らしい。
何よりも大惨事なのはスケッチブックだ。
サイファーの文字も、絵も、滲んでしまって何がなんだか分からない状態になってしまっている。

「悪かったな、まだページも残ってたのに」

サイファーは構わない、と首を横に振った。

「気に入ってた絵もいくつかあっただろ」

サイファーは再び首を振った。
あれだけ絵を描いてるんだ、一枚くらい上出来だと思える物もあっただろうに。

「…………」

ちらりと横顔を見るが、確かにサイファーがそのことを気にしている様子は微塵もない。
なら俺がこれ以上言う必要はないな。
俺は空へと視線を移した。
暗い空からは相変わらず大粒の雨が降り続いている。
雪は好きだが雨は嫌いだと相棒が以前言っていたのを思い出した。
どっちも似たようなものなのに、と俺は思うが相棒は違うらしい。
雨はテンションが下がるが雪は上がるとかなんとか。
犬は喜び庭駆け回り……とはよく言ったものだ。

「……寒いな」

寒さには強い方だが、それでも濡れた服に体温を奪われていくのはきつい。
相棒もこくりと頷き、息を指に吐きかけた。

「おいおい、そんなに寒いのか?」

また寝込まれては大変だと、俺はサイファーの顔を覗き込んだ。
サイファーは困ったように笑っている。
しまった、スケッチブックが無いから曖昧な質問には答えられないのか。
俺は少し考えて、手をサイファーに差し出した。

「分かりづらい。指で手に書け」

俺の言葉に訝しげな表情をしていたサイファーも納得したらしく、おずおずと手を添えて手のひらに文字を書き始めた。

『そういうわけじゃないが』

一度文章を区切って、伝わってるか?とサイファーが顔を上げる。
俺が書かれた通りに音読すると、改めてサイファーは文字を書き始めた。

『そういうわけじゃないが、万が一、手に何かあったら困る』

手に何かあったら困る、か。
確かに操縦に直接関わってくるのは勿論のこと、サイファーは文字を書いたり絵を描くのにも使う。
寒くて手がかじかむなんてことは我慢出来ないんだろう。
実際、サイファーの手は冷たくなっている。

「帰ったら酒でも飲んで……」
『ココア飲みたい』

酒でも飲んで温まるか、と言おうとした俺の手に相棒はさっと文字を書いた。
よりにもよって、ココアだ。

「ココアって、あのココアか?」
『あったかいココア飲みながらチョコレートシフォンケーキが食いたい』

ったく、聞き返すんじゃなかった。
次はケーキの指定まで出やがった。

「チョコレートシフォンケーキとココア?」
「ん」

力強く頷く相棒の目はキラキラと輝いている。
甘いもののことになるとすぐこれだ。

「食いに行くのは無理だぞ」

俺がしっかり釘を刺すと、相棒は途端に俯いてしまった。
本当に分かりやすい奴だ。

「こんな格好でケーキなんか食いに行けると思うか?」

サイファーも濡れ鼠の自覚はあるらしく、力無く首を横に振った。
ここまであからさまに落ち込まれると、俺が悪いことをしたような気分になる。

「……なあ相棒、俺に作れると思うか?」
「え?」

今こいつ素で声出したな。
慌てて口を押さえる相棒を見て、俺は思わず吹き出した。
相棒が一呼吸置いて、また文字を書き始める。

『作れるかって、ケーキか?』
「厨房借りて作れそうなら作ろうかと思ったんだが……いや、無理だな。
そもそもあんな山奥の基地にケーキの材料が置いてあるわけがないか」

俺は忘れてくれ、と手を振った。
が、その手を突然がしっとサイファーが握る。
その表情は明らかに輝いていた。
これは、まずい。
そう直感した俺に何か言う隙も与えず、サイファーが俺の手のひらに文字を書き始める。

『卵、小麦粉、砂糖、サラダ油、水、チョコレート』
「……はぁ?」
『ベーキングパウダー無しでも最低これだけあれば作れる』

どうやらレシピまで暗記済みらしい。
その才能をどこか別のところで使えばいい、と思うのは俺だけじゃないはずだ。

『それくらいはあの山奥にだってあるだろ』
「しかし一般的な料理ならともかく、ケーキなんか作ったことが……」
『料理は愛情と根性だ。作れ』

作れるか、と聞いたはずなのに返ってきた答えが「作れ」とは。
普段はそこまででもないくせに、どうしてこういう時だけこうなんだ。
目に見えてはしゃいでいる相棒は、溜め息を吐く俺などもはや目に入っていないらしい。

「俺の愛情と根性のこもったケーキが美味いと思うか?
気色悪いことこの上ないぞ」
『ガルム2、隊長命令だ。作れ』
「…………」

そう来たか。俺は閉口した。
そこまでしなくても、また後日改めてどこかで食えばいいだろ。
店で出るケーキの方が美味いに決まってる。

『イヤだ。今食いたい。
今すぐココアとシフォンが食いたい』
「ガキか、お前は」

ガキという言葉が気に障ったのか、サイファーがムッとした顔で俺を睨んでくる。
そういうところがますますガキっぽい、ということには気付いてないらしい。

「分かった分かった、帰ったらな」

俺の言葉を聞いて相棒はニッと笑った。
早くも機嫌はすっかり直ったようだ。
現金な奴め。
そもそも行動が全体的にガキだと何故こいつは気が付かないんだろうか。
まさか天然なのか?
有り得るのが怖いところだ。

「ん」

サイファーが服を引っ張り、俺の思考を中断させる。
何かと思えば、あれほど降っていた雨がすっかり止んでしまっていた。

『ミルクチョコ使って、砂糖多めでな』

乱暴にそう指を動かし、サイファーがさっさと歩き始める。
言い出した俺が悪いんだ、仕方ない。

「……ウィルコ」

お前、最初の目的は絵だったんじゃないのか。
だから絵の具を買いに来たんじゃないのか。
そんなことは綺麗さっぱり忘れているらしいサイファーの足取りは軽い。
くそ、これならわざわざ買いに来ないで今ある絵の具で空だけ描いてくれればよかったのに。
なんだって灰色やら赤やらの絵の具を――。

「――なあ相棒」

俺はふと、あることを思い付き、カマをかけてみることにした。

「…………?」

数歩前を歩いていたサイファーがピタリと足を止めて振り返る。
俺はあくまで平静を装って言った。

「この絵の具、俺のイーグルと同じ色だな」

灰色の機体、赤い羽。
空や雲の色には見えない絵の具は、何故か俺の愛機のカラーリングと一致する。

「…………」

どうやら、当たりらしい。
サイファーがはっとした表情を浮かべる。
空の絵に、俺のイーグル。
相棒に描いてもらえるなら俺のイーグルも幸せだな。

「ほら、さっさと帰るぞ」

僅かに頬を染め、ばつの悪そうな顔で俯く相棒の背中を叩く。
相棒は悔しそうに俺を睨み、後ろを黙って付いてきた。
いつの間にか俺の方が前を歩いている。
気が付くとサイファーより俺の足取りの方が軽くなっていたようだ。
現金なのは俺の方かもしれない。
それはそれで癪だ。
……仕方ない。
俺は基地に着いたら精一杯の努力をしてこいつの望みを叶えてやることにした。



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