我らがガルム隊の一番機、サイファー。
今や「鬼神」などと呼ばれ、誰もがその名を知っているエースである。
「今日も大活躍だったな!」
「さすがサイファー!」
味方の中にもファンが多く、彼らは帰還する度にこういった言葉をくれる。
「…………」
だが、エースは無口である。
否、まったく喋らないのである。
Be quiet!
勝利した後の酒は美味い。
皆で集まり今日の戦いのことを語り合うため、食堂は騒がしさを増していく。
その中で、唯一静かな一角があった。
壁際の小さな机、そこはガルム隊の指定席である。
「なあ相棒」
サイファーの向かいに座って頬杖をついている薄茶色の短髪の男。
彼の名はピクシー。
ガルム隊の二番機、つまりサイファーの相棒だ。
「少しくらい喋ってみたらどうだ。
あいつらも一層喜んで戦うぞ」
あいつら、とは鬼神のファン達である。
彼らも同じパイロット、時には援護してもらうこともある。
無敵の傭兵ガルム隊にはあまり必要ないかもしれないが、彼らとある程度仲良くしておくことも必要だろう。
ピクシーはそう考えているらしい。
「…………」
そんな風にアドバイスをくれる相棒にも、彼は頑なに喋る素振りを見せない。
苦笑するピクシーをよそに、サイファーは隣の席に置いていたスケッチブックにペンを走らせた。
そして、スケッチブックをくるりと翻し、ピクシーに向けた。
『うるせえ』
少し癖のある字で書かれたその文字に、ピクシーは頭をかく。
そんなピクシーを尻目に、サイファーは更に文字を書き足した。
『喋れないもんは喋れない』
「うそつけ」
ピクシーはそのスケッチブックを指で弾いた。
簡単に主張を一蹴されてしまったサイファーは、不満そうにピクシーを睨む。
「昔色々あったってのは前に聞いた。
それで喋りたくないのも知ってる」
知ってんなら言うなよ。
サイファーの目がそう言っていた。
自分がこのことに触れられたくないと思っていることは、ピクシーも分かっているはずだ。
なのに、何故こいつは今日に限ってこんなことを言うのだろう。
『なんだお前』
サイファーが紙にそう書き殴るが、返事は返ってこない。
何が言いたいんだ。
気が短い方ではないサイファーも、段々と苛立ってきたらしい。
その険悪な雰囲気に、今まで騒いでいた他の者達も二人の方へと目を向け始めた。
「……知ってるが、お前本当は――」
『うるせえ』!
スケッチブックのページが戻り、先程と同じ台詞が現れた。
それを派手な音と共に、机に叩きつけるようにしてピクシーに突きつけるサイファー。
ヒッ、と周囲から小さく悲鳴が漏れた。
仲間とはいえ、彼はあの鬼神だ。
睨まれると、さすがに恐ろしい。
そんな彼を相手にしても平気な人間など、ピクシーくらいじゃないだろうか。
「そんな童顔で睨んでも怖くもなんともないんだがな、鬼神」
『うるせえ』!!
気にしていることを次々に言われ、サイファーの苛立ちも増していく。
これ以上怒らせると、戦場で事故を装って蜂の巣にされそうだ。
「サイファー」
「…………」
今度はスケッチブックは返って来ない。
ただ黙って、まるで唸る猫か何かのようにこちらを睨んでいる。
ピクシーは再び頭をかいた。
別に怒らせるつもりはなかった、と。
「悪かった」
そう言いながらピクシーは手を伸ばし、サイファーの頭をポンポンと叩いた。
「…………」
サイファーは手を睨んではいるものの、抵抗はしない。
お、とピクシーがその反応に意外そうな声を上げる。
てっきり、その手を叩き落とされると思っていたらしい。
「ちょっとくらい喋ってやった方が、あいつらも報われるかと思ったんだ」
帰還する度に出迎えて、褒めちぎって、たまに何か奢ってくれて。
それでこっちは何も言わないなんて、確かにそれでは彼らが可哀想かもしれない。
「…………」
サイファーがピクシーの手をぱっと払いのけた。
そこまで喋るのが嫌なら仕方ない、とピクシーは黙って手を引っ込める。
が、すぐにサイファーがペンを手にとった。
『確かに』
スケッチブックの白いページに、新たな文字が綴られる。
『そうかもな』
その文字を見て、ピクシーは表情を緩めた。
こういう素直さがあるからこそ、彼は人に好かれるのだろうか。
ピクシーはもう一度サイファーへ手を伸ばす。
今度は睨まれもしなかった。
「喋れないと喋りたくないは違うだろ、サイファー」
サイファーが喋りたがらない理由は詳しくは知らないが、とにかく喋れないわけではない。
ぽつぽつと聞いた話によると、精神的な何かで声が上手く出せないらしい。
「…………」
「嫌なら無理にとは言わない」
その言葉にサイファーは暫く迷っていたようだが、やがてこくりと頷いた。
「喋る気になったか?」
「…………ん」
もう一度頷くサイファー。
「よし、後でプリン買ってやるよ」
艶やかな黒髪を撫でながらそう言うと、サイファーは嬉しそうに頷いた。
プリンで機嫌が直るなら安いもんだ。
ピクシーが呟いて立ち上がり、皆が集まっているところにサイファーを連れて行く。
漸く言い争いは終わったのか、と誰もが少々安堵した様子だった。
「相棒」
ピクシーがサイファーの背中を軽く押す。
何事かと皆が目を丸くしてサイファーを見た。
『おいピクシー、何を言えと』
「お前が思うことを言えばいい。
言うまでスケブ禁止な」
ピクシーがひょい、とスケッチブックを取り上げる。
サイファーとピクシーはそこそこに身長差があるので、手を伸ばしてしまえば届かない。
「ほら、言うんだろ」
何を?
誰もが目を丸くしている。
その中で一人、明るい金髪の青年がサイファーの手をがしっと掴んだ。
「い、言うってまさか俺が対地の下手な駄目な奴だから死ねとか墜ちろとかですか……!?」
彼はPJ、対空の腕前はまだ若いのになかなかのものだが、対地攻撃はまったくと言っていいほど出来ない男。
クロウ隊の三番機である。
「まあ、それもあるが、そうじゃない」
さり気なく本音が入ったが、ピクシーが一応フォローする。
サイファーが軽く頷くと、漸くPJは手を離した。
サイファーのファンの視線がPJにグサグサと刺さっているが、どうやら本人は気付いていないらしい。
「う……」
サイファーがそろそろと口を開ける。
まさか、何か言うつもりなのか。
誰もが対照的に口を閉じ、食堂内は一気に静まり返った。
「ぁ……」
サイファーの唇が少し震えている。
彼にとって喋るということはそれほど辛いことなのだろうか。
「相棒、無理なら――」
サイファーが首を横に振った。
言おうと懸命に努力しているようだ。
「分かった。
無理するなよ、サイファー」
まるで空に上がっている時のように、ピクシーが言った。
その言葉で、サイファーは僅かながら瞳に鬼神の強さを取り戻した。
「い、いつ……も」
誰もが驚きに目を見開いた。
今までサイファーの声など殆ど聞いたことがなかったからだ。
中には、今の今までサイファーは声を出せないと思っていた者もいる。
「あ、あ……」
必死に続きを言おうとするサイファー。
頑張れ。
ピクシーは心の中で強く念じた。
「あり、が……と」
ふうっとサイファーが苦しそうに息を吐く。
その瞬間、周囲の人間全員がワッと沸いた。
「いいんだってサイファー!好きでやってんだから!」
「こっちこそありがとうな!」
人々が次々に労いの言葉をかける。
明らかに士気が上がっていて、このまま戦場に行けば全員鬼神になって帰ってきそうな雰囲気だ。
サイファーは肩で息をしながら、はにかんで見せた。
「そもそも、なんでそんなに喋るのが嫌なんだ?」
ピクシーが約束通りスケッチブックを返しながら言う。
それは、とサイファーが新しいページに書きかけた時だった。
「お前、俺と二人の時はそれなりに喋るくせに」
盛り上がっていた人々が、一瞬で凍りついた。
「他の連中がいても同じように喋ればいいだろ」
ピクシーは自分の投下した爆弾に気付いていないらしい。
そう、サイファーはピクシー相手なら喋る。
部屋で二人の時など、ピクシー以外誰もいない空間では。
だがそれは、ピクシーを相棒として心から信頼してのことである。
「二人の時は喋って、他に誰かいたらスケブ……じゃなくて」
ちょっと待てピクシー、とサイファーが口をぱくぱくさせた。
「実は喋ってました」と秘密をばらされ、サイファーの顔は真っ赤に染まっている。
「俺にだけでいいから、普段から喋ったらどうだ」
ピクシーはとどめの一撃に、エクスキャリバー並みの強力兵器を投下した。
ピクシーを凝視する者が半分、サイファーを凝視する者が半分。
さっきとは違うざわめきが食堂に溢れかえった。
「ちょっと待て!じゃあお前は今までサイファーの声を独り占めしてたのか!?」
「俺と代われピクシー!」
「サイファー、是非俺を相棒に!」
哀れな男達がピクシーに嫉妬の視線を向ける。
ピクシーは漸く自分の発言がどう解釈されたのか理解したようだ。
「いや、喋ってもこれからの作戦やら連携攻撃やらについてで……」
「それでも羨ましい!」
「俺なんか今日初めてサイファーの声聞いたぞ!」
さすがは基地のアイドル、円卓の鬼神。
凄まじい人気である。
『おいちょっとだまれ』
「サイファー!頼むから俺を相棒って呼んでくれって!な!」
「俺も!」
一人が言い出すと皆が言い出す。
こいつらはどうしてこういう時ばかり統制されているのだろうか。
むさ苦しい男達に囲まれ、サイファーも動揺しているらしい。
文字がいつもより乱れている。
「何言ってんだお前ら。
サイファーは俺の相棒……」
「ピクシーばっかりずるいぞ!俺もガルムにしろ!」
「じゃあ俺ガルム3な!」
「なら俺は4だ!」
ピクシーの出した助け舟は見事に撃沈。
ますます事態を悪化させていく。
周りの者に比べると比較的小柄なサイファーにとって、
身長180センチをゆうに越えるむさ苦しい男達に迫られることは恐怖以外のなにものでもない。
鬼神とは思えない少々怯えた顔で、サイファーはピクシーをちらちらと見た。
なんとかしろ、と言いたいらしい。
無理。
サイファーの必死な様子を嘲笑うかのように、ピクシーは腕を広げて見せた。
「サイファー!」
「いっそ俺を二番機にして下さいよ!」
「いや俺だ!」
くそ、よく見るとPJまで混ざってやがる。
そう思うと、サイファーにもふつふつと怒りが沸いてきた。
サイファーは鬼神の目をして男達を睨み、叫んだ。
「っうるせえ――ッ!!」
おおっ、と男達が退く。
喋るどころか大声まで出したサイファーは、半分泣きそうになりながら疲れ切った様子でペンを走らせた。
『調子のんな馬鹿!喋るのしんどい!』
「スイマセン……」
先程の元気はどこへやら。
誰もがしゅんとしてサイファーへ謝罪した。
『俺の相棒はピクシーだけだ、それで間に合ってる』
この辺りが信頼の証だろうか。
ピクシーの口元が無意識に緩む。
少々嫉妬のこもった視線が刺さるが、ピクシーは気付かないふりをした。
『俺に喋らせたかったら、信頼出来る奴になれ。
俺は信頼する奴としか喋らん』
ただの兵士の言葉なら傲慢だが、なにせ彼は鬼神と呼ばれる傭兵である。
確かにそうかもな、と誰もが納得した。
「よし、次の出撃を楽しみにしてろよ!」
「絶対喋らせてやる!」
一気に元気になった彼らを見て、ピクシーは苦笑した。
なんと単純な奴らだろうか。
「男には無駄に人気だな、相棒」
『うるせえ』
ピクシーが軽口をたたく。
サイファーは笑いながらスケッチブックの例のページを開き、どうやら面白がっているらしい相棒をべしっと叩いた。