声が聞こえる。
『サイファー』
 サイファー? それは誰?
『噂は聞いている。獲物は逃がさない性分らしいな。一度噛み付いたら離さないとか』
 ああ、そうだ。
『サイファー、お前とならやれそうだ。よろしく頼む』
 ”サイファー”は、私の名前だ。
『相棒』



 地上に降りた私達を待っていたのは、基地にいた人達の歓声だった。この人達にとって私達は文字通り、壊滅寸前のこの国を救った英雄(それを名誉と思う人間もいるだろうが、私は貰えるモノさえ貰えるなら何でも良かった)なのだろう。中でも私はベルカ軍の爆撃機を一人で半数以上を撃墜した(らしい。私はいちいち数えていないので分からない)ということで、皆から歓迎された。
「…………」
「…………」
 そんな私の前に、どうも歓迎に来たのとは様子の違う男性が立っていた。色素の薄い短髪をした男性は、鍛えられた身体にフライトジャケットを着ていたので(そうでなくても彼が片羽の赤いイーグルから降りるのを見たので)私は彼が二番機だと確信した。
「はじめまして、ガルム2。噂はかねがね伺っているわ。あなたになら背中を安心してお願い出来そう」
 私が先に手を出すと、彼は驚いたように目を見開いた。そして交互に私の顔と手を見てから(この時、彼は私がサイファーだと知らなかったらしい)握手に応じた。
「あ、ああ、はじめまして。ピクシーだ。……しかし驚いたな。あの戦いぶりからは想像出来ない顔だ。てっきりゴリラみたいのが出てくるのかと思ってたんだが」
「私こそピクシーなんて可愛らしい名前だから、物凄く嫌な想像をしていたのだけど。ある程度、会話が成り立つくらいには常識的な人間みたいで安心したわ」
 それが私と彼の出会いだった。



 ある時は自由を象徴する鐘の音と歓喜に湧く民衆の声を、私達の翼に受けた。
 ある時は巨大な光の剣が空を裂き、その合間を潜り抜けるように、私達は飛んでいた。
 ある時は狭い狭い空を私達だけが悠々と飛び回っていた。
 ある時は一方的な虐殺に加担し、私達には憎しみが向けられていた。
 毎日のように私と彼は空を飛び(その間、本当に色々なことがあったのだが、金にならないことなので割合する)地上へと生還した。
(非難されることは承知の上で言うが、私はこの辺りでベルカ側に寝返ることも視野に入れていた。理由はひとつ、私は戦争というものを大規模かつ終わりの無い物にしたかったのだ。それは私が傭兵という職業を選んだ頃から常々考えていたことで、その考えに至った経緯は非常に長くなる。端的に説明するなら、私は世界というものが憎かったのだ)
 数々の死線を共に潜り抜け、私は彼の腕前を一人の傭兵として尊敬するとともに、その人柄にも珍しく興味を持った。彼も同じく、私に友人として接してくれた。
 そうして過ごすうちに、相棒であった彼とは気付くと親友と呼べる間柄になっていた。
「ラリー、今から話すことは酔っ払いの戯れ言だから聞き流して頂戴」
 ある日、私は酒を飲みながら、積年の疑問をぶつけた。
「こんな世界は、無くなってしまった方がいいと思わない?」
 彼は(同じく酔っていたので本心ではなかったのかもしれないが)答えた。
「俺も、同じことを考えていた」
 私と彼は、同じように悩み続けていたのだ。私達は酒を呷りながら、この世界への愚痴を言い合った。
(ただひとつ、私と彼に相違があるとするなら、人間というものに対して希望を持っていたか否かだろう。私は世界は滅んで消滅すべきだと言ったが、彼はリセットをかけて一度やり直すべきだと言った。やり直したところで同じ道を辿るに決まっている。私と彼の意見はその一点において平行線だった)
 その後、彼は私の元を去った。
 しかしそれから半年程経ったある日、彼は再び私の前に現れる。今度は敵として。
 彼は世界をリセットする為、私は世界を自らの手で滅ぼす為(だったのか、ある青年の為だったのか、今ではもう分からない)、私達は戦った。
 そして私はかつての相棒を、初めての親友を、この手で殺したのだ。
『サイファー、任務完了だ。さあ、帰ろう』
 イーグルアイの声がする。沈んだ調子なのは、無理もない。
 私はコクピットの中、拳を振り下ろして呟いた。
「こんな世界、無ければよかった」



 声が聞こえる。
「メビウス1?」
 ああ、そうだ。どうして今まで忘れていたんだろう。
 今の私が”メビウス1”と呼ばれていることを。
「いよいよ今日、ストーンヘンジを攻撃する。……んだが、よく寝坊出来たな」
 それは現在の上司にあたるスカイアイの声だった。彼は呆れながらもどこか緊張した面持ちで私のベッドの横に立っている。
 時計を見ると、とっくに起床予定時刻を過ぎていた。私には珍しいことだ。
「ごめんなさい。長い夢を見ていたみたい」
「他の奴らは中々寝付けず困った、と口を揃えているのに」
 スカイアイににっこりと笑いかけ、私は伸びをした。本当に長い夢を見ていた気がする。
「顔を洗ったらすぐ行くわ」
「そうだな。早くその酷い顔を拭け」
 一瞬何のことか分からずムッとしたけれど、スカイアイがハンカチで私の頬を拭ってやっと分かった。私はどうやら泣いていたらしい。懐かしい夢を見たせいだろうか。
「……スカイアイ。一緒に作戦にあたる他の隊に、作戦中は私に近付かないように言って頂戴。周りの護衛機の駆除に専念するように。邪魔をされたくないの。ストーンヘンジは私に任せて欲しい」
 私の突然の申し出に、スカイアイは面食らったようだった。
 今までで最も重要な作戦だ、失敗は許されない。しかし、私には自信があった。それを上回る憎しみも。エルジア如きに、私の獲物を奪われてたまるものか。
「少しだけ、鬼神に戻るわ」
 私の言葉に、スカイアイは少し唸った。しかし私が退かないことを悟ったのだろう。最後には首を縦に振った。
「分かった、信じよう。俺は鬼神の力を評価したからこそ、ここに呼んだんだからな」
 このISAFで、かつての私の名を知るのはこのスカイアイだけだ。詳しく聞いたことは無いが、私が戦うところを見ていたらしい。ISAFに私をスカウトしに来たのも彼だった。
「それに、戻るも何も、お前は今でも”サイファー”だ。……何も変わっていない」
 スカイアイの一言で私はすべてを思い出す。
 メビウス1にはTACネームが存在しない。それは、私が未だにサイファーという名に縛られているからだ。これからもそれは変わらない。相棒を、僚機を、全てを奪った世界に復讐するまでは。
「……俺は、いつか吹っ切れて、他の名前を名乗る日が来ることを祈ってるよ。無事に作戦を成功させて帰ってくることも」
「……ありがとう」
 私は借りたハンカチで涙を拭う。スカイアイは先に皆のところへ向かった。私も早く追いかけなければ。
「さあ、今日も稼ぐわよ」
 私は赤くなった目で、鏡の中の”サイファー”に笑いかけた。
 そして今日も私は空へ上がる。私の獲物を守る為に。
 私が全てを灰燼と化すその日まで。



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