2番機を守れず、相棒をこの手で撃ち、大切なものを一度に失ったあの日からもう三年になる。
 あの日の苦い記憶の残るアヴァロンダム。それでも私は、今でも毎年ここを訪れている。
 12月31日、15時丁度。アヴァロンダムへの侵入を開始した時刻だ。
 もっとも今年は天候があまり思わしくなかったせいで少々遅れてしまったけれど。
「作戦時刻に遅れるなんて、傭兵失格ね」
 あの時飛んでいた場所から少し離れた所にある2番機の破片――PJの墓標の前に花束を置き、私はしゃがみ込んだ。
「ごめん、PJ。今年はいつもより遅くなった」
 言いながら、私はPJの墓標に積もった雪を払った。
 ――あの時のことは今でも鮮明に覚えている。基地に恋人がいて、戻ったらプロポーズをするのだと笑ったPJ。V2発射の阻止に全力を注ぎ、疲れきっていた私はレーザーの接近に気付かなかった。無惨に吹き飛ぶ機体、敵となっていた相棒。私は怒りに任せ彼を撃った。
 こうして『国境無き世界』との戦いは終わり、V2の再突入は阻止された。
 世界は幾分平和になった。
 それでも、その平和の代償は私にとってあまりに大きかった。『円卓の鬼神』と呼ばれ、多くの人間を殺した私には当然の代償だったのかもしれない。
「仲間一人守れないくせに……。鬼神だなんだって言われて、調子に乗ってたのかもね」
 私は鞄から缶コーヒーを取り出し、PJの墓にコツンと当てた。
「乾杯」
 そして酒のつもりでそれを一気に飲み干す。酔ってすべてを忘れてしまえたなら、どんなに楽だろう。
 しかし、私はそれをしなかった。しなかったし、出来なかった。
 後悔しているなら二人を忘れず、二人の分まで飛べばいい。この先どうやって生きていくかを見失いかけていた私に、イーグルアイがやけに熱心な顔で言った言葉だ。
 私はその言葉に従い、今もまだ空を飛んでいる。二人の言った平和な世界の実現のためだ。甘いとピクシーに笑われるだろうか。
 確かに平和な世界なんて有り得ないかもしれない。それでも私は二人のため、そして私自身のために、曖昧な『平和』という言葉の本当の意味に近付きたくて空を飛び続けている。
「これでいいのよね」
 不意に花束に目がいき、思わずふう、とため息がもれる。花は詳しくないが、見るのは好きだ。そう言ったら次の日には色とりどりの花が部屋に飾られていた。PJのしわざだと聞いたのはそれから少し後だった。
 こんなことして、基地のどこかにいる恋人に知られたらまずいんじゃない? 茶化すようにそう聞くと、PJは頭をかいて笑ってたっけ。
「基地に恋人がいる……か」
 プロポーズするんだという言葉を聞いた時、純粋に応援したい気持ちはもちろんあった。しかし、少し寂しく感じたことも事実だ。
 そう考えると、私にとってPJはなんだったんだろう。
 初めて一緒に飛んだ時、年齢のわりにはなかなか上手く飛ぶ彼の腕前に驚いた覚えがある。私がピクシーのことで落ち込んだ時は明るく元気付けてくれた。ガルム隊の2番機になってからも思っていたよりいい働きをして、よく一緒に飲みに行って奢ってやった。まだまだ若い部分もあったけど、そこがまた可愛い後輩だった。これらから推測するに……。
 うん、きっと弟みたいに思っていた、んだと思う。
「……だけど、あなたは違ったのよね」




 帰還した私を待っていたのは、基地のみんなの歓声だった。他の基地からわざわざやって来た者もいるらしい。よくやったな! さすが鬼神だ! などと誰もが私を褒めてくれた。
 相棒をこの手で撃ったのに、何故褒められなければならないのだろうか。
 自責の念に駆られ、私は苦笑を返すことしか出来なかった。何人かはそれで察してくれたのか、何も言わずに私の肩をポンと叩くだけだった。
「サイファー」
 聞き慣れた声に振り向くと、クロウ隊の二人が花束を抱えて立っていた。二人とも暗い顔をしている。二人が抱えている花束はPJの用意していた物だと一目で分かった。
「あなた達なら知ってるでしょう? PJの恋人はどこにいるの? 私はその人に謝らなくてはならない」
 私の言葉に、二人はますます表情を曇らせた。私がPJを見殺しにしたのだと言われてもおかしくはない状況だ。二人はそのことで表情を曇らせているのでは、とその時私は思った。
「お前のせいだと罵倒されるのは覚悟の上よ。それでも、私はその人に謝らなければならないの」
「違う、そうじゃないんだ」
 クロウ1が首を振った。クロウ2が目元を手で覆い、嗚咽をこらえている。
「どういうこと?」
 私はわけが分からず、眉をひそめた。
「あいつに恋人なんて、いないんだよ」
 ……耳を疑った。恋人はいない? それじゃあ、あれは嘘だったの?
「俺があいつをガルムに推したから……!」
「ちょっと待って、私にも分かるように説明してくれない?」
 クロウ2は「俺のせいだ」と繰り返すばかりで、とても話が出来る状態ではなさそうだ。彼はよくPJをからかっていたし、可愛がっていたんだろう。ショックが大きいのも無理はない。
 今にも声を上げて泣き出しそうなクロウ2の代わりにクロウ1が口を開いた。
「実は、PJを新しいガルムの2番機に推薦したのは俺達なんだ」
「……どうして?」
「あんたを誰かに撃墜されないようにだよ。ちょっとしたお節介だったんだ」
 その言葉に、私は少しむっとした。私にも傭兵としてのプライドはある。
「そんな簡単に撃墜なんてされないけど」
「そうじゃなくて……鈍いな、あんたも」
 鈍い? 私が聞き返すと、クロウ1は頭をかいた。そして、すっと息を吸って言った。
「はっきり言うと、PJはあんたに惚れてたんだ」
 …………。
 一瞬、時が止まったような気がした。
「……はは、PJが……嘘でしょう?」
 思わず笑って誤魔化そうとした自分が情けない。そんな私に対し、クロウ1は非情にも首を横に振り、話を続けた。
「初めて共同で作戦に当たった時のことは覚えてるか?」
「……エクスキャリバーを破壊した時ね?」
「あの作戦の少し前から、あいつはあんたに惚れてたんだ。だからあの時、俺達はあんたが作戦に参加しているのを知って、PJをからかった」
 半年以上前のことだったが、あの時の無線がはっきりと私の頭をよぎった。
『のんびりしてると別のヤツに彼女を撃墜されちまうぞ』
 彼女というのは、てっきりPJの恋人か誰かだと思っていた。
 しかし、それは私の思い込みだったらしい。あの『彼女』という言葉は私をさしていたと言うのだ。
「そんな……」
 今になって、私の目にじわりと涙が滲んできた。
 思い返せば、彼は何度も私に対して好意を示してくれていた気がする。私が気付かなかっただけで、何度も何度も。
 クロウ1が涙を拭う私に花束を手渡す。
「作戦開始前に言ってたんだ。『帰って来たらサイファーにプロポーズしてみます!』ってさ」
 本当に馬鹿だよな。そう言いながらクロウ1も涙を流していた。
 滲んだ視界でよく見ると、花束の中に箱が紛れている。私は花束を抱えたまま、震える手で箱を開けた。
「似合わないわよ、こんな渡し方……」
 中には、小さな銀色の指輪が入っていた。




「……あなたのせいで、基地のド真ん中で思いっきり泣いたんだけど」
 今思い出しても恥ずかしい。花束を抱いて、子供みたいにわんわん泣いたなんて。
「あの時はいろんな意味で注目の的になったんだからね」
 私はPJの墓標を指で弾いた。
 ああ、本当に恥ずかしい。いきなりプロポーズしようとしたあなたも、年甲斐もなく号泣した私も。
「まったく、どう責任取ってくれるのよ」
 私は右手で頬杖をついたままコーヒーの缶を左手で転がし、ため息をついた。缶を転がす手に銀色の光が反射して、思わず目を細める。
「PJ、あなたにもらった指輪、小さすぎて右手には入らなかったのよ。ちゃんとサイズ見て買いなさいよね」
 私は左手を見ながら毒づいた。いや、本当はこれで合っているのかもしれないけど。
 それにしたって『好きです付き合って下さい』をぶっ飛ばしていきなり結婚だなんて、突っ走りすぎではないだろうか。もし私が断ったらどうするつもりだったのだろう。この三年間の疑問の一つだ。
 彼ならクロウ隊の二人に慰められながら朝まで酒を飲んで泣いている気がする。というか、それしか考えられない。
 ――それとも、絶対に私がOKすると思っていたのだろうか。
「……PJのくせに、生意気」
 私はクスクスと笑って立ち上がった。時計を見ると、思ったより時間が経過していた。
 ここに来るといつもそうだ。きちんと時間を決めておかないと、なかなか帰る踏ん切りがつかず長居してしまう。
「それじゃあ、そろそろ行くわね」
 鞄についた雪を払い、私は歩き始めた。
 が、ふと思い当たることがあり、もう一度PJの墓標へと視線を移した。
「もしかして、レーザーが私の方へ向かってたことも、私がそれを避けられないことも全部知ってて代わりに撃墜されたの?」
 彼はあの時、妙に早口になりながら私の前へ飛び出した。私は早く基地の恋人に会いたいからだろうと思っていたけど、基地に恋人なんていなかった。そうだとしたら考えられるのは――。
「私に花束のことを急いで伝えてから、私を守って死んだってわけ?」
 何を言ってもPJから答えは返って来ない。私はまた滲み始めた視界を拭い、首を振った。
「……まさかね」
 そんな都合のいいことが起こるわけがない。私の考えすぎだ、きっとそうだ。
「じゃあね、また来るから」
 強引にそう納得し、私は手を振ってから再び歩き出した。
 少し歩くとさっきまで止んでいた雪がまたひらひらと降り始めた。
「降ってきたわね」
 あの日も雪が降っていた。
 ふと伸ばした左手に雪が降っては溶けていく。
「私はまだ生きている。空を飛べる。そして――」
 ――そして、二人の分まで生きていく。
 決意を込め、私は左手をぐっと握った。それでも指輪の上に落ちた雪はなかなか溶けず、何故か涙が私の頬を伝った。



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